口腔癌・前癌病変を早期に発見するための診察法とコツ
口腔癌は全悪性腫瘍の中でも数少ない、肉眼的に発見することのできる種類の癌である。他の臓器の癌と同じく早期発見、早期治療は癌の治癒において大変重要な因子である。
初期の口腔がんはほぼ100%に近い治癒率が得られ、早期の口腔癌でも5年生存率90%以上である。また、早期癌であれば治療後の障害はほとんど残らない。しかし、進行癌になると状況は一変し、5年生存率は50%程度にとどまり、さらに治療後の審美障害、機能障害により著しいQOLの低下をもたらすこととなる。
膵癌のように現在にいたってもなお早期発見が非常に困難で、発見された時には多くの症例がすでに進行しており、治療成績もよくないような癌とは違い、口腔癌は直接口腔内を視診および触診することで早期発見が可能である。とはいえ癌の診察に慣れている専門医でも問診や視診、触診のみで正確な判断は困難である症例も少なくないが、日常臨床の中で「癌もしくは癌が疑われる、あるいは癌ではない」ということは判断可能でそこから要検査症例や経過観察でよい症例あるいは放置してよい症例の判断を行うことが可能な癌である。
口腔がんは胃がんや大腸がん、子宮がんのようにがん検診が幅広く行われてはいない。このため我々の教室では地域の歯科医師会とともに口腔がん検診を行い、さらに無料がん検診を実施しているが、今後年々増え続けるといわれている現状の前には無力感は否めない。
厚生労働省の統計によると、現在、全国で約6,8000件もの歯科診療所が存在している。各々の診療所で日々約20人の患者を診察していると仮定すると単純計算で毎日136万人もの患者の口腔内を歯科医師が診察していることになる。この人数の口腔内診察は癌の早期発見という観点から見た場合、かなり有用な国民的な口腔がん検診といえよう。開業医の先生方は義歯やカリエスの治療が多く、多忙な中、口腔粘膜全体へ眼を向けることはなかなか困難であると思われる。事実癌の治療に訪れる患者にはかかりつけ歯科医師で見逃されていたと思われるケースが少なくない。開業歯科医師の先生方には1人の患者においてはせめて同一初診内で一度は口腔粘膜全体の診察を行うことを提案したい。そうすることで今後増加が予測される口腔癌の早期発見率を増加させ口腔癌の治療成績の向上に役立っていただきたいと切に希望する。
ここで述べることが癌の可能性のある病変を見極める一助となればと考える。口腔に発生する悪性腫瘍は組織学的に,癌腫が全体の90%を占め,肉腫は10%未満であり,他に悪性黒色腫や転移性腫瘍も発生するがその頻度は稀である。口腔粘膜に発症する癌の中では組織学的に扁平上皮癌が最も多い。部位別では舌、歯肉、口腔底に多くみられるが、頬粘膜、硬口蓋、臼後三角、口唇にも発生する。このようなことから今回はこの扁平上皮癌に限定して説明をすすめていきたい。
扁平上皮癌は上皮系組織の増殖からなるもので上皮の増殖により上皮下の結合組織に存在する毛細血管の血流が見えなくなりその結果白色を呈するが、角化に欠く場合は紅斑を示す。さらに中心部は癌の増殖に必要な栄養が不足し壊死し潰瘍を生じ、周囲組織へ浸潤性に増殖することから健常組織との境界が不明瞭となり、硬結を触知するようになる。
癌は自然消失することはないし、消炎酵素剤や抗菌薬がなど歯科医院で行われる投薬では効果を示すこともない。前癌病変も同様である。従って粘膜病変の継続的な存在や治療への抵抗性は癌の可能性を示唆するものである。
以上から癌の早期発見におけるコツとして、癌を疑わなければならない病変は「加療してもいつまでたっても治らない口内炎や創傷あるいは白斑や紅斑もしくはこれらが混在し、触診で硬結を認める病変」であるということを念頭において問診や視診、触診を行うことである。
1, 問診
問診では前述したように以下の項目が必要となってくる。
(1) 口内炎や傷、白色あるいは紅色の病変が2週間以上治癒しない。
(2) 治療抵抗性である
2, 視診および触診のポイント。
以下のような項目は癌を疑わせる所見である。
(1) 潰瘍、びらん、表面の塑造な病変。
(2) 白色や紅色の病変(白斑、紅斑)、これらの混在するもの。
(3) 境界不明瞭な腫瘤。
(4) 病変周囲の硬結。
3, 視診、触診の方法
口腔癌は顎骨中心性に発生するものもや大唾液腺に発生するものあるが、ほとんど症例は口腔粘膜に存在する病変として認められる。従って口腔粘膜全体を診察することが重要にとなる。
以下に具体的に視診、触診法を示す。
(1)まず頬粘膜を反転させ口腔前庭、頬側および唇側歯肉、口唇粘膜を診察する。この際に腫瘤や白色病変、口内炎などがあれば触診を行い、硬結の有無を確認する。これを両側について行う。(写真1)
(2)頬粘膜を反転させた状態で開口させ頬粘膜および舌側、口蓋側の歯肉の視診、触診を行う。(写真2)
(3)開口させた状態で口蓋の視診、触診を行う。(写真3)
(4)舌を前突させて舌尖部および舌背部の視診、触診を行う。(写真4)
(5)そのまま舌を挙上させ舌下面と口腔底部の視診、触診を行う。この際、口腔底部の触診にあたっては顎下部と口腔内からの双手診を行うことで口底部の腫瘤の有無を確認する。顎下腺の状態や唾石の有無などもこれで確認できる。(写真5)
(6)舌尖部をガーゼを用いて牽引し舌縁部や舌根部、舌後方の舌下面、舌背部の視診、触診を行う。さらに「アー」と発声させて咽頭部の視診も行う。(写真6)
早期口腔癌の症例
口腔癌は上記2の項目のように分類できるわけでなく、これら項目の中の単独、複数あるいはすべての項目が複合的に存在している。しかし理解しやすいように主要な所見としてなるべくこれらの項目ごとに初期および早期癌の症例に説明を加えて供覧する。
右側舌縁部にクレーター状に周囲が盛り上がり、境界は不明瞭で中央部に潰瘍を形成し、周囲には硬結を触れる病変である。典型的といってもよい口腔癌の所見である。
b早期癌(下顎歯肉):潰瘍形成 (写真8)
左側下顎歯肉に発赤を伴う潰瘍性病変を認める。無歯顎であり義歯使用している場合には義歯性潰瘍との鑑別は視診、触診のみでは困難である。義歯の削合調整にで1~2週間経ても改善なければ癌を疑って対処しなければならない。生検にて下顎歯肉癌の病理診断であった。
c早期癌(口腔底):表面塑造な白色病変(写真9)
右側口腔底に生じた早期癌がんの症例。表面が白色で塑造感が強い。上皮が角化していることによる。境界は比較的明瞭である。義歯による繊維腫は表面が滑沢であり、また義歯性潰瘍とも異なる。表面性状から鑑別は比較的容易である。
d早期癌(口腔底):表面塑造な白色病変(写真10)
左側口腔底癌の症例。腫瘤が唾液腺の開孔部付近に認められ、白色で表面塑造であり、角化が亢進していることが分かる。口腔底は粘膜が薄く、粘膜下の組織も疎であるため、早期に深部浸潤するため早期発見の重要性は増す。
(2) 白色や紅色の病変(白斑、紅斑)、これらの混在するもの。
a早期癌(舌):白色病変(写真11)
右側舌縁部に境界不明瞭な白色のやや隆起した病変が見られる。がんとの診断は困難であるが周囲に紅色の部分も認められ、全摘生検した結果扁平上皮癌の診断であった。
b早期癌(頬粘膜)白色や紅色の病変の混在(写真12)
白斑と紅斑が混在する病変を認める。口腔扁平苔癬とに区別は困難であるが片側性であれば疑う必要のある病変である。がんの診断であった。
c早期癌(上顎歯肉)(写真13)
左側上顎歯肉に白色と紅色の混在した腫瘤が認められる。正中部を超えて残存歯付近まで白斑(白板症)が広がっているのがわかる。病理診断で隆起性の部分が癌での周辺の白色病変は前癌病変であった。
d早期癌(舌):白色の病変(写真14)
左側舌縁部の白色病変(白斑)とその中央部分に比較的大きな隆起と指のすぐ後ろに小さな隆起を認める。白斑の中に2か所の癌が発生していた。いずれも初期癌で白板症とともに切除した。
(3)境界不明瞭な病変
a早期癌(舌)(写真15)
右側舌縁部に境界不明瞭な隆起性病変を認める。一部に表面の塑造な部分を認め、触ると周囲に硬結を触れることから視診触診で舌癌の診断が容易な症例である。この程度の大きさで発見されれば、手術後の機能低下はほとんどない。
b早期癌(舌)(写真16)
左側舌癌症例。やや赤色の病変(紅斑)の周囲に白色の病変を認める。一見すると舌の扁平苔癬との鑑別が問題になるような症例であるが、触ると厚みを感じることと赤色部の表面が粗雑であることから癌を疑わなければならない病変である。
c早期癌(舌)(写真17)
左側舌縁部から舌下部にかけて境界不明瞭な白色と紅色がまだらになった病変を認める。表面は外に膨らんでいるわけではなく、明らかな硬結は触れないものの若干、厚みがあるように見える。癌を強く疑う症例である。このタイプの癌はリンパ節転移などをきたしやすく早期に対処が必要な病変である。
d早期癌(下顎歯肉)(写真18)
右側歯肉に見られた早期がん症例。上の写真では肉芽組織の増生ともあるいは歯周炎とも見える、この段階でがんとの診断は困難な症例であるが、歯周炎の治療で効果なければ癌を疑う必要がると思われる。
(4) 病変周囲の硬結
a早期癌(舌)(写真19)
左側舌縁部にみられた外向性腫瘤を示す舌癌症例。いわゆる「花がひらいたような」がんの腫瘤を形成している。境界は比較的明瞭であるが表面の塑造感と周囲の硬結の存在もあり容易に癌と判断できる症例である
b早期癌(下顎歯肉)(写真20)
右側第1小臼歯部に見られた歯肉癌症例。歯周膿瘍との鑑別は視診のみではきわめて困難である。触診にて、排膿がない、硬結がある、抗菌薬が奏功しないなどの所見があれば癌を疑う必要がある